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上級国民は逮捕されない?
このページは弁護士 楠 洋一郎が執筆しています。
上級国民とは
2019年4月、東京の池袋で、87歳の高齢ドライバーが車を暴走させ、猛スピードで通行人を次々とはねる事故を起こしました。この事故によって2名の方が亡くなり10名の方が負傷しました。
被疑者はこれだけの重大事故を引き起こしながらも、逮捕されなかったことから、「どうして逮捕しないんだ?」と多くの国民によって批判の声がわきおこりました。
被疑者が旧通産省工業技術院の元院長という経歴で、勲章を授与されたこともあるため、「上級国民」というネットスラングが急速に広まり、「上級国民だから逮捕されない。」という声がインターネットで上がっています。
「上級国民」とは、ネットの声をまとめると、社会的ステイタスの高い「エリート層」を指すと思われます。上級国民か否かは、職業、収入、資産、社会的な影響力などを総合して判断されることになります。
本ページでは、次の5つの要素を「上級国民的な要素」と定義づけし、そのような要素を一つ以上もっている人と逮捕の関係を弁護士が解説しました。
【上級国民的な要素】
①高収入
②大企業や官公庁で働いていること(働いていたこと)
③多額の資産
④社会的な影響力があること
⑤国から勲章を授与されていること
上級国民は逮捕されない?
(1)逮捕の要件
実際に「上級国民だから逮捕されない」ということはあるのでしょうか?
結論からいうと、上級国民的な要素があれば逮捕の可能性は下がります。この点について理解するためには、「捜査機関はどのような場合に被疑者を逮捕できるのか」をおさえておく必要があります。
被疑者を逮捕するためには、「罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」が必要です。根拠になるのは刑事訴訟法199条1項です。
【刑事訴訟法199条1項(一部抜粋)】
検察官、検察事務官又は司法警察職員は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるときは、裁判官のあらかじめ発する逮捕状により、これを逮捕することができる。 |
ただ、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があったとしても、逃亡したり、証拠を隠滅するおそれがなければ、被疑者を逮捕することはできません。根拠になるのは刑事訴訟規則143条の3です。
【刑事訴訟規則143条の3】
逮捕状の請求を受けた裁判官は、逮捕の理由があると認める場合においても、被疑者の年齢及び境遇並びに犯罪の軽重及び態様その他諸般の事情に照らし、被疑者が逃亡する虞がなく、かつ、罪障を隠滅する虞がない等明らかに逮捕の必要がないと認めるときは、逮捕状の請求を却下しなければならない。 |
(2)逃亡のおそれが低下する
上級国民的な5つの要素すなわち、①高収入、②大企業等に勤めていること、③多額の資産、④社会的な影響力、⑤勲章はどれも「失いたくないもの」です。
もし逃亡してしまうと、これらの「失いたくないもの」を失ってしまうことになります。そのため、「失いたくないもの」が多ければ多いほど、逃亡のおそれは低下していくと考えられます。
過去に大企業等に勤めていた場合は、過去の話である以上、たとえ逃亡しても失職の危険はありませんが、そのような方は、③多額の資産があったり、②企業年金などで定年後も高い収入を維持していることが多いため、やはり逃亡にブレーキがかかるとみてよいでしょう。
したがって、上級国民的な要素があればあるほど、捜査機関によって、「逃亡するおそれが低い」と認定されやすく、結果として逮捕されないことが多くなります。
(3)証拠隠滅のおそれは低下しない
証拠隠滅のおそれは、上級国民的な要素をもっていても、それだけで低下するとはいえません。むしろ「失いたくないもの」である上級国民的な要素をたくさん持っていればいるほど、有罪判決を免れるために証拠隠滅に走る動機があるといえます。
最強の上級国民であった田中角栄をはじめとして、多くの政治家が逮捕されてきたのも、証拠隠滅のおそれがあると判断されたためです。
(4)池袋高齢者暴走事故での判断プロセス
①罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由
警察官が臨場した際に、被疑者が事故車両の運転席にいたことから、罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があることは明らかです。
②逃亡の恐れ
被疑者が元高級官僚で、大企業の取締役をしていたという上級国民的な要素があるため、警察によって逃亡の可能性が低いと判断された可能性はあるでしょう。
ただ、87歳という年齢やけがをして入院していたことも逃亡のおそれを大きく低下させる事情といえます。
また、同居の家族がいるようですが、これも逃亡のおそれを低下させる事情になります。家族による監督が一定程度期待できますし、家族を捨ててまで逃亡する人は決して多いとはいえないからです。
このような事情から、仮に被疑者に上級国民的な要素が全くなかったとしても、逃亡のおそれは低いと認定されていたものと思われます。
③証拠隠滅のおそれ
池袋高齢者暴走事故については、目撃者が多数いて、事故前後の状況を撮影した防犯カメラ映像も残っています。このように事件を裏づける多数の証拠がある以上、そもそも証拠隠滅の実効性がありません。
また、被疑者と事件の被害者や目撃者との間には面識がないと思われますので、被疑者から被害者らに接触して、自分に有利な供述をするように働きかけることも現実的には困難でしょう。
87歳と高齢であることに加え、事故でけがをして入院していたことも証拠隠滅の可能性を低下させる事情といえます。
このような状況から証拠隠滅の恐れは低いと判断されたものと思われます。
上級国民と逮捕の可能性についてのまとめ
上級国民的な要素があれば、逮捕の要件の一つである逃亡のおそれが低いと判断されやすく、結果として逮捕の可能性は下がるといえるでしょう。
ただ、上級国民的な要素だけで逃亡の可能性が判断されるわけではなく、本人の年齢や健康状態、同居家族の有無、有罪になった場合の刑罰の見込み、前科の状況など様々な事情から総合的に判断されます。
また、逮捕のもう一つの要件である証拠隠滅のおそれについては、上級国民的な要素があるからといって、それだけで証拠隠滅のおそれが低いと判断されるわけではありません。
そのため、上級国民であれば常に逮捕を免れるというわけではありません。
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